日本とBC州・総領事館の歴史
令和5年12月13日
1908年-1948年
この襲撃事件を契機として、日加両政府によって紳士協定(レミュー協定)が締結され、日本政府の自主的措置として、農業労務者等のカナダ渡航者数は年間400人以内に制限されることとなった。同協定は1923年及び1928年に改訂され、移住者数は更に制限されることとなった。
また日系移民の就業可能な職種も制限され、彼らの就業先は、林業、農業、漁業、鉱業及び鉄道建設等の肉体労働に限定された。大部分が独身男性であった日系移民は、太平洋戦争が勃発するまで「写真結婚」によって結婚し、バンクーバーや沿岸のコミュニティーに居を構えた。
1941年12月7日太平洋戦争が勃発、当時日系カナダ人の数は23,000人推定された。約96%もの日系人がBC州沿岸に居住し、その大部分がバンクーバーとスティーブストンに集中していた。 |
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